長女が小6の時、子供会とクラス役員を兼任していました。
なぜ、こんな事になったのか?6年生まで、クラス役員をする機会がなかったからです。
6年生までの間に、一度でも役員をしていればそこまで大役は回ってきませんが、6年生になると卒業式での挨拶や、謝恩会の様なものがあります。
その為の準備や仕切りをしなければなりません。
クラスが、3クラス有るので他のクラスの役員さんと連携してすればいいだけですが、その中でも誰が先頭に立つか…、これが難しい。
本心を言えば、誰もやりたくないし、人の前にたって挨拶もしたくない。
各クラス二人、3クラスの中から誰が仕切るのか?
それはじゃんけんです。
「じゃんけんに勝った人がする!」いつもなら「負けた人」なのに敢えて「勝った人」にしました。そして見事勝ったのが、私でした(T_T)
自分で「勝った人」と言ったばっかりに、自分の言ったとおりになってしまいました。
まぁ、そうなったら仕方ないので、他の人にバンバンふってプリントや配布物を作ってもらったので、そこは楽させてもらい最後の卒業式の挨拶も、時間の関係上なしになったので、ホッとしました。
子供会でも同様に、5年生6年生の母親が自動的に役員を務めていました。ここでは、下っ端の役員だったので、会合に行って決まったことをするだけで済みました。
子供会の役員が決まっていたので、クラス役員を断ろうとしたら、会長や副会長ならわかるけどそうじゃないならダメと、断りきれませんでした。
なので、兼任する羽目に。
この時は、まだ序の口でした。
次女が6年生の時、今度は婦人部の役員も回ってきました。こちらは、地域の役員です。小組と言う班の班長、婦人部が10年サイクルで回ってきます。
単身世帯のところは、免除されているのでそれより早く回ってくることも。
で、婦人部、クラス役員、子供会の役員の3つ兼任です。
婦人部と子供会は、同じ地域なので一つとカウントされてしまいますが、これも、なぜこんなに兼任する羽目になったのでしょうか???
次女の時は、クラスが2つでした。毎年誰が役員をするか事前に決まっている状態で、そこへ「わたしやります」と割って入ることができず、結果6年生でクラス役員をすることになりました。
兼任になったことで、主人に訳を話して子供会の行事を手伝ってほしい、と言うと
「おまえが断れば良いものを、引き受けたんだから俺は手伝わない」
と突っぱねられてしまいました。
そうして、夏休みに入るとラジオ体操だ、盆踊りの練習だ、フットベースボールの練習だ…と毎日なにかの練習に駆り出されることになります。
小学校のプールの監視も、父兄が代わる代わる交代で努めます。
行事、多すぎ。
疲れて家事もできないし、このときほど恨めしいと想ったことはないです。家のことを少しでもやってもらえたら。
夏休み中に5〜6キロ体重が落ちてしまい、皆から心配されました。
婦人部では、地域の敬老会や盆踊りのお世話をします。それも、子供会と共同なので同じ日に行事が有るのでどちらかに顔を出せば大丈夫でした。
あれから10年以上経ちますが、体重戻りません(T_T)
生理も止まってしまいましたし、更年期の症状も相まって物凄く濃い一年でした。
本当に何も手伝ってもらえませんでした。
役員なんてどれか一つで良いものを人がいないとか、もう皆役員を済ませてしまっているとか、一年に一つの役員が順番に回ってくるならこなすこともできますが、いっぺんにするのは、どうかしてる。
モタモタしないで、早めにクラス役員は済ませておくことをおすすめします。
意外と、何も役員をしないでスマシている人もいるかもですが。わかりません。
というお話。
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