
実家の売却の用事で帰省しているのですが、実家に長く滞在するのは難しいので、今は親戚の家に泊めてもらっています。せっかく上京したのだから「ゆっくりしたら」という気遣いのもとです。
これが本当にありがたくて、助かっているのです。今日は、そんな滞在の中で、しみじみ感じたことを綴ってみます。
親戚の家に、よくしてもらっています
泊めてもらっている親戚は、とても親切にしてくれて、頭が下がるばかりです。家の売却のことでも、頼りになるアドバイスをもらえて、心強いことこの上ありません。
私の主人が「せっかくだから、2週間でも3週間でも、ゆっくりしてきたら」と言ってくれてたそうです。まわりに恵まれているなあと、つくづく感じます。本当に、感謝しかありません。
それでも、1週間もすると…
ところが、贅沢な話なのですが――1週間もすると、だんだん気を使っている自分に気づきました。
「食事は何食べる?」「買い物する?」「行きたいところはない?」。よくしてもらえばもらうほど、こちらは「申し訳ないな」「気をつかわせているな」と、かえって恐縮してしまうのですね。ゆっくりしているはずが、心のどこかが、ずっと少しだけ緊張している。そんな感じなのです。
不満でも、遠慮でもなくて
これは、決して不満ではありません。よくしてもらっているのですから。かといって、ただの遠慮とも少し違う気がします。
いちばん近いのは、「生活のパターンの違い」でしょうか。人にはそれぞれ、長年かけてできあがった、暮らしのリズムがあります。起きる時間、食べるもの、過ごし方。どんなに仲がよくても、その"型"は家ごとに違う。だから、よその家に長くいると、自分のリズムと少しずつずれて、じんわり疲れてくるのですね。どちらが良い悪いではなく、ただ、違うというだけのことです。
気づけば、帰りたくなっていました
そうして過ごすうちに、ふと気づきました。どんなに居心地よくしてもらっても、いちばん落ち着くのは、やっぱり自分の家なのだと。
誰にも気をつかわず、自分のペースでお茶を淹れて、好きな時間に好きなことをする。なんてことのない我が家の日常が、こんなにありがたいものだったのかと、離れてみて初めて分かりました。「そろそろ、いつもの自分のペースに戻りたいな」――そう思うのは、わがままでも、恩知らずでもなく、ごく自然なことなのですよね。
感謝を胸に、そろそろ我が家へ
親戚には、心から感謝しています。困ったときに頼れる人がいるのは、本当に幸せなこと。その優しさを、しっかり受け取ったうえで、私は近いうちに、我が家に帰ろうと思います。
離れてみて、人の温かさと、自分の暮らしのありがたさ、その両方に気づけた滞在でした。帰ったら、当たり前だった我が家の時間を、これまで以上に大切にできそうです。
せっかくだから「孫にも会ってきたら?」と言ってもらってるので、その孫にも会いに行く予定です。
ちょうど1歳の誕生日を迎えた頃で、歩くようになっているはずです。
まだ、もう少し滞在も延長になりそうです。
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